2010年末は、友達の住むホンジュラスに旅行してきた。そちらの詳細は、違う普段用のブログに書いているのだけど今回はカナダの外でカナダ人に会うという事を改めて実感。
1)日本の大学でカナダ人の先生に会うとき。
カナダに留学している人なんてざらなので、誰もカナダに居た事など気にしない。むしろ私がカナダ学/政治を勉強しているなんて見た目で判断できないのだし。それからカナダに留学している人の大半は「英語ちょっと勉強したいかなー!」なので、先生もカナダな話をしてもついてこれないと思っている、べつに興味が無いのでさわり程度に「どこに居たの?」「カナダ楽しかった?」と言うだけ。それが悪い事ではないが、「カナダで繋がる」事はそんなにない。むしろ居た所と同じ場所出身であったら話はもう少し合うのだろうけど。オタワ出身の先生にあった事は……無い。笑
なので、ごもっともな反応である。
2)今回ホンジュラスでカナダ人とあった時。
特殊な経験をした気持ちになった。
友達の彼氏の義理のお義父さんが、カナダ人だったので家に招待され歓迎された私たち2人。(カナダ学/政治勉強している私&日系カナダ人の彼)「カナダ人」というだけでかなり歓迎された気がした。私の友達の彼氏の家族って結構遠くないだろうか?私はその彼氏さんは知り合いだけれども個人的に遊んだりする仲ではない。
しかし、そのお義父さんの出身地はアルバータ、人種は白人、職種は土木で元肉体労働者、国籍はカナダで、年齢は約50代。
私の彼、Kと被っているところといったら国籍くらいだ。
カナダはとても広い国、地域主義の国でもある。アルバータとオンタリオは政治文化も、政治風土もかなり違う。そして多民族・多文化カナダ、数世代に渡ってカナダにすみ続けている白人の彼と、2世代目のKではまったく背負っている文化やたしなんでいる習慣も違う。また成人や社会のなかでのアイデンティティーのコアとも言える職種もまったく違う。確かにパン屋は彼と同じ肉体労働者なのかもしれないけど……笑 そして年齢も違う。
しかし、背負うもの、持つものがまったく違っても国籍としてのカナダ人というだけであれほど歓迎されるなんて。なんだか面白いなぁと思ってしまった。
一律ではなく、様々なAccommodation(約:適応、順応) があるカナダ。この言葉は「受け皿」と訳させてもらうのであれば、多種多様な受け皿を国や州が作り出す国。もちろん矛盾も多いのであるが、基本方針としてはそうである。
こうやって、海外で個人的に出会う場合も受け皿が広いんだなぁと実感。
追記:しかし、もちろん見た目は典型的なカナダ人ではない彼。ホンジュラスで出くわす無数の白人カナダ人達には「アジア人」としてのラベルを張られるだけである。日本のヤマトんちゅで、見た目の服装や国籍も日本の私は、「日本人ですか?」と聞かれる事は多い。もちろん韓国中国も言われるがしょうがないとして、Kみたいにアジア系カナダ人は「カナダ人ですか?」と言い当てられる事はどのくらいなのだろう?皆無に近いかもしれない。良いとか悪いとかではないのだけど、どういう心境なのだろう?
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