10/05/2010

カナダ式多文化主義 —失敗?成功?


 


カナダの多文化主義という実験は失敗か?

カナダの全国紙、Globe and mail で行われたウェブ投票の結果。
多くの人がこれは失敗だったと言っている。

これは一部の統計であるので、正確な数値とはいえないが(1人が何票も入れる可能性もあり得る)世論という現実なのかもしれない。多文化主義にシフトされて40年経つ今、多文化主義最考という動きの中で多文化主義は失敗、カナダの多文化主義は盲目的だという考え、多文化主義の終盤という考えが主流になりつつある。

ここで諦めてしまっては、カナダという国家がどうなっていくのか。寛容から生まれる「寛容」それこそがカナダの多文化主義だと思うのだが…、揺り戻し時期なのか世論

カナダ的価値観

カナダ文化

カナダ史(入植前後〜)

カナダ国民

この国自体

は全てCreation"創造"である事が前提にあるからこそ


私はこのカナダ式多文化主義はある意味成功だと思う。しかし、失敗だったという人はほとんどが3世代目以降のカナダ人が多い気がする(コメントや自己紹介によると)そして他民族系カナダ人との関わりが薄いのはその人達自身だったりもするの。カナダに居る全ての人は移民であるか、移民の末裔、どちらにしろどこからか渡ってきた人であるのに数世代すれば立派に「カナダ人」といっているではないか。これが同じように中国人やインド人にもおこると思ってないらしい。まさに自分に寄って証明されているではないかと私は思ってしまう。

確かに、多文化主義のバランスは語られるし、宗教の色濃いさに対しての難色…難民受け入れなどかなり問題として取り上げられているのでそういった世論になるのはしかたないかもしれない。

アジア系、ヨーロッパ系に関わらずカナダ人2世 からはカナダが彼ら彼女らに取って母国であり、国籍を持つ地であり、生まれ育った場所である。確かに民族的なコミュニティーを主体として行動するというか、アジア系カナダ人はアジア系カナダ人と遊んだりということはあるけれども、カナダを自分の母国もしくは故郷と思わない人は居ないと思う。(親の転勤でたまたまカナダで生まれて国籍取得しまた引っ越していく場合はまた移民とは別として考える。)居ないと思うのは自分の経験上そんな人に会った事ないという、パーソナルエクスペリエンスだが、仲良くなったらやんわりそういった話をすると自分の両親の出身国(以下祖国と呼ぶ)にもなんらかの思いや愛着はあるが、全くない人も居るし、愛着があったとしてもカナダ国籍を捨てて自分が祖国に舞い戻るほど愛着を持った人も見た事がない。

祖国の事を嫌う人は、土着の人間の中にも居るので、2世でカナダが嫌いというのは、「移民の子どもだからこの国を母国と思っていなから」とうことには直結できない。

 しかし、このイントーラレンス(非寛容さ)が、移民1世、2世の居心地を悪くさせる事によりもっと適応もしくは同化を遅らせる事で民族間の分裂にならないかが私は問題だと思う。プルファクターとしてのカナダに少なからず適応していくであろう移民を頭ごなしに否定することが、移民の中での「カナダ文化への抵抗要素 」にならないかということである。

この地で、「1人の人間」として文化、言語、血統、民族、スキンカラー、セクシャルオリエンテーションなど様々なレイヤーを持つ事を許すはずだったカナダの多文化主義はどこへ向かうのか。失敗だったと言い捨てられる物ではないはずなのに。

 しかし、誰がカナダ人を定義できるというのか。

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